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自分流トレーニンングの極意

 元サッカー日本代表 沢登正朗 ~前編~

 エクササイズ特集のスペシャルインタビュー「自分流トレーニンングの極意」第1回は、元サッカー日本代表の沢登正朗氏(36)の登場です。沢登氏は昨年のシーズンをもって14年間の現役生活にピリオドを打ち、現在は日刊スポーツ評論家として執筆活動のかたわら、清水のスクールで小学生にサッカーを教えています。

 前編は全国制覇を果たした東海大一(現・東海大翔洋)時代、東海大時代のトレーニングの様子を中心にお話を伺いました。

 

 ──Jリーグの創立時から14年間、第一線で活躍されてきた沢登さんですが、現役を引退されてから生活で気を付けていることなどはありますか?

 すぐに運動をやめてしまうと、体がおかしくなってしまうので、日常的に走ることはしています。朝起きて、食事をした後にだいたい5~10キロぐらいを1時間くらいかけて走りますね。あとは、自宅で腹筋、背筋をやったり。自分は元々太りやすい体質なので、現役時代はもちろんのこと、今も食事面には気を使ってます。

高校・大学時代の思い出を語る
高校・大学時代の思い出を語る

 ──体型は全然変わっていないように見えるのですが?

 体重は現役のときよりも筋力が落ちた分、1キロ減っているんですが、脂肪がついてきちゃった感じはしています。それを防ごうと思って、走ったりしてるんです。

 ──高校選手権で全国優勝(86年)を果たした東海大一(現・東海大翔洋)時代の練習はどんな感じだったのでしょうか?

 基本的には週2回フィジカル練習があって、あとはボールを使ったトレーニングでしたね。朝は7時から8時までボールを使って対人、午後はゲーム形式の練習が多かったです。

 ──休みはありましたか?

 ほとんどなかったですよ。土日も練習でしたし。それが普通でしたね。だから今の子たちは、いろいろと考えられていいなぁという感じがします。休みは年間で数える程しかなかったですから。

 ──当時、部活の練習とは別に、何か自主トレはしてましたか?

 はい。当時は体も小さかったですし、1年生のときは持久力も瞬発力もなかったですから、学校近くの海岸を練習後毎日30分くらい走ってました。砂浜を走ることによって、筋力もつくし、瞬発力もつくので。

 高校生の頃って、一番循環器系が発達する時期なんです。だから走れば走っただけ効果が現れる。それは今になっていろいろと勉強もしたのでよく分かります。当時は、体力をつけたい、足が速くなりたい一心でしたけど。

第66回全国高校サッカー選手権大会静岡予選決勝 東海大一対清水商 ドリブル突破をはかる東海大一の沢登(手前) (1987年11月21日)
第66回全国高校サッカー選手権大会静岡予選決勝 東海大一対清水商 ドリブル突破をはかる東海大一の沢登(手前) (1987年11月21日)

 当然、部活の練習でも走っていましたが、それだけだと人と同じになってしまう。差を付けるためには人よりもやらなくちゃいけない。それには砂浜でのトレーニングが一番効果がありました。

 例えば、僕の場合は中学時代に1500メートルが5分30秒くらいかかっていたんですが、高校入学後はすぐに4分30秒を切るぐらいまで速くなりました。

 エスパルスに入ってからもオフは、下田で1週間くらいキャンプを張って、海岸を走ったり、山道のアップダウンの激しいコースを5キロくらいは走ってました。

 ──高校時代のトレーニングで思い出に残っていることと言えば?

 毎日のトレーニングも相当キツかったんですが、夏の合宿のときの走り込みですね。これは冗談じゃなく厳しかったです。朝起きて走って、午前は走りながらボール使ったトレーニング、午後はゲームで、夜も走り込み。朝は起きてすぐに1周500メートルくらいの駐車場をリレーで、夜は1500メートルを2本走ってました。夏のキャンプは地獄でしたね。でも、これだけ走ったことが、14年間プロ生活を送ってこられた土台になってます。体力がついた自信が、各年代の代表につながったと思ってます。

 あと、キツかった思い出と言えば、水分に関すること。僕の中学、高校時代は練習中、水分を取ってはいけない、という状況だったんです。今はだんだん科学的に立証されて「水分は取った方が良い」ということなってきましたけど。

 昔は練習の時に「水飲みタイム」なんてなかった。水の用意も当然ない。練習中にトイレに行くとき水道に行ってこっそり水を飲んだりしていました。今はいろんなこと考えながら練習していて、いいなぁと思いますね。

第66回全国高校サッカー選手権大会決勝 国見対東海大一 ボールをキープする沢登 (1988年1月)
第66回全国高校サッカー選手権大会決勝 国見対東海大一 ボールをキープする沢登 (1988年1月)

 ──東海大学への進学後は?

 高校時代にあれだけ走ってきたので、大学時代のフィジカルは楽に感じました。当然、結構キツいんですが、「これだけ走ってきた」という自負があったので。キツいメニューでも、こなせましたね。

 東海大学湘南校舎のキャンパスの周りを走るんですが、タイム設定があって、それを切らないと試合に出られない、というルールがあったんです。磯貝(洋光、元G大阪MF)なんかは体力があるほうではなくて、タイムを切れなかったから試合に出られない、なんてこともあったんですよ。彼は抜群にサッカーは上手いのに。やっぱり、そういうので試合に出られなくなってしまうのはおかしいんじゃないか、ということになって、だんだんそれはなくなっていきました。

 ──高校、大学と指導する監督が変わったことで、トレーニングに変化はありましたか?

 監督によって指導法は当然違ってきます。高校では監督がすべてのメニューを決めていましたが、大学では体育学部出身のコーチがいろいろなデータを取りながらメニューを決めていたという感じですね。瞬発系、持久系、ジャンプ系と分かれてました。週2回くらいがフィジカルであとはボールを使ったトレーニングでした。ボールを使いながらフィジカルをやるのがベストだと思います。

 ──ボールを使ったフィジカルというのは?

 フィールドを大きめにとりながら、2対2、3対3などのことです。ボールがあると追っかけてしまう、というのがサッカープレーヤーとしての性。だからあえて走る状況を作り出すトレーニングをすれば、自然と体力はつきますね。狭いフィールドの中でやると、瞬発系の動きが大切になってくるんですが、走る距離を長くすることで自然と体力がつく、という感じですね。

 ──お話を伺っていると「走ること」が非常に大切だということがわかりますね。

 そうですね。走れないと今の現代サッカーにはついていけませんから。走ることによっていいプレーができるし、いいサッカーができるので。走れる持久力が大切ですね。

>> 後編はこちらから

 厳しかったトレーニングを思い出しながらも、「高校・大学時代の走り込みのおかげで14年間のプロ生活を送れた」と笑顔で語る沢登さん。後編では清水でのプロ生活におけるトレーニングなどについて伺います。お楽しみに。

沢登正朗/プロフィル
沢登正朗

 1970年(昭和45年)1月12日、静岡県富士宮市生まれ。上野小1年でサッカーを始める。東海大一(現・東海大翔洋)に進み全国高校選手権では86年優勝、87年準優勝。東海大では1年からレギュラー。87年にユース代表入りし、88年のアジア選手権と92年バルセロナ五輪予選で主将を務める。92年に清水入団。Jリーグ開幕の93年新人王、99年ベストイレブン。日本代表入りは93年で、94年の米国W杯予選と広島アジア大会、00年アジア杯に出場した。国際Aマッチ16試合出場3得点。



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